简单350 发表于 2020-12-25 22:17

关于 McTaggart 对时间的「A 系列」逻辑不内洽的问题?

关于 McTaggart 对时间的「A 系列」逻辑不内洽的问题?

天一教育培训寐 发表于 2020-12-25 22:23

谢没人邀。(几个月之前关注的问题了,问题其实还挺好的,其实我就是闲的蛋疼想答题了)看SEP可能是不太够的(维基其实参考意义不大),如果是paper的话还是尽量读一下原文比较好,SEP是帮助你理解原文用的。这里需要看的是McTaggart 1908年的the unreality of time或者1927年的Time Is Unreal.(我读的是后者,见reference)

分三段来说:

一:
首先A-series和B-series是在说时间的本质的。

时间的A系列是说“事件(event)”是有三种“位置(position)”或者“性质(property)”的:过去(past),现在(present),将来(future)。这三个位置都是相对于“现在”的关系。不断有将来的时间点会变成现在,然后变成过去的时间点,然后变成更远的过去的时间点。

时间B系列则是说事件之前是有三种“关系(relation)”的:早于(earlier than),晚于(later than),同时(simultaneous with)。这些关系是两个事件之前的关系,并不需要与“现在”这个时间有关。就像一堆人排成一行,B在A的右面,在C的左面,你可以说向左看齐或者向右看齐或者向中间看齐,但是这些基准点都是人为规定的,如果没有人作规定,在这一行中没有一个最核心的点。在A系列中,这个最核心的点就是“现在(present)”,而且是客观的(objective),但是B系列中“现在”这个点则是被认为是因为人或者观察者的存在才有的,是主观的(subjective)。

用图来表示:

然后在解决问题之前先明确一下事件(event)是什么东西,有什么样的特点:

事件就是在某一个时间点(假设有时间的话)发生的一件事。这里为了简单明了我用美籍韩裔哲学家Jaegwon Kim的定义:。x代表对象(object),P代表N阶谓词(n-adic predicate),可以简单理解为发生在一个对象身上的一件事或者一种状态的发生,t代表时间(time)。
而我们需要注意的是:事件本身的非关系性性质(non-relational property)是无法发生改变的。不管是发生的对象还是发生了的事情还是发生的时间改变了,都意味着有另一个事件发生了,而不是事件本身改变了。比如说我前天在打字,和我昨天在打字这两件事,就算我再同一个地方用同一个姿势打同样的字,这也是两件事情,而不是一件事情在不同的时间发生了。

现在解决问题。

二:
题主的第一个问题,Mctaggart是认为B系列要成立的话必须要建立在A系列也必须是对的。

首先部分永恒主义者(eternalist),并且是B系列的支持者(B-theorist)认为“现在”这个时间点是主观(subjective)的,脱离了人类的认知就不会存在。他们认为过去现在将来同时存在,只不过人类对世界的观察自带了一个“现在”的概念(像图中那样),而B系列足以说明时间的本质。题主的第一个问题就是McTaggart对这种观点的反驳。他在Time Is Unreal里是这么论证的:
首先他认为时间肯定涉及着变化(It would... be universally admitted that time involves change.) (McTaggart 2) 所以说,如果B系列可以脱离A系列来说明时间的本质,它就必须解决变化的问题。但是B系列本身代表了这样的一种结论:如果事件N早于事件M但是晚于事件O的话,它永远都早于事件M但是晚于事件O。
在A系列的解释之中,我现在正在打字这件事是“现在”的,但是在一天前“我现在在打字”这件事是将来会发生的事,而在一天后这件事是过去发生的事。但是B系列并不需要现在的概念,再加上我之前说的事件本身的non-relational property不能变化,也就是说,在B系列中,事件永远不可能变化。事件N永远早于事件M,永远晚于事件O,永远不会变。这就导致它无法解释变化。

但是A系列却可以使事件发生变化:存在一个时间点“现在”,这个点随着时间永远在流动,它在流过一个事件之前,这个事件是“未来的”,在恰恰流到了这个事件的时候,这个事件是“现在的”,而在流过这个事件之后,这个事件是“过去的”。这样的框架便可以使同一个事件的“时间性质(temporal property)”(算是一种relational property)发生改变来解释变化的问题。

也就是说,McTaggart认为如果有时间的话就必须有变化,而如果要有变化的话A系列就必须成立,所以有时间的话就必须有A系列(记住这个结论,后面会用到)。所以既然B系列认为是有时间的,那B系列就必须认为A系列也成立。
(当然有些形而上学家认为并没有变化,但是和本题就没有关系了)

三:

以上回答题主的第一个问题,不过下一个问题确实特别难。是接下来McTaggart开始他的核心观点了:有时间的话它就必须是A系列,但是A系列不成立,所以时间不存在。
(注意以下所有讨论都是在A系列的框架中的)

首先他认为一个事件只能是在“现在”或者“过去”或者“将来”中的一个,不能同时拥有三个性质。一件事不能既是过去的,又是现在的,又是将来的。

但是事实上一个事件在A系列的框架下确实既是“现在”又是“过去”又是“将来”。

1776年美国独立这件事对于1775年的时间来说是过去,对于成立之时的时间是现在,对于1777年是过去。McTaggart认为这是矛盾的。

他考虑了这样一种解释: “我在打字(他并没有用这个例子)”这件事现在是现在,将会变成过去,而曾经是未来(It is present, will be past, and has been future. ) (McTaggart 6)。所以说,一件事不能同时,也就是说不能再同一个“现在(present)”的情况下既是过去又是现在又是将来,但是它可以在“不同的现在”中分别是过去现在将来。

首先McTaggart是这么反驳的:在上面的讨论中,我们发现如果有时间的话就必须有变化,而如果要有变化的话A系列就必须成立,所以如果有时间的话A系列就必须成立。但是在上面的解释中,A系列如果成立的话就必须有时间,因为它又默认了“不同的时间”是存在的。在McTaggart看来这是一种循环定义,用A系列来论证时间的存在,用时间来论证A系列的正确性。
打个比方说,别人问:什么是苹果?你说:苹果是苹果。这个结论没有意义。
注意:形而上学是研究事物最最本质的存在问题的,我们不能理所当然的认为时间存在,不能理所当然的认为物体存在,不能理所当然的认为你我存在。问:时间存在吗?答:因为A系列是正确的,所以时间存在。问:A系列是正确的吗?答:因为时间存在,所以A系列存在。在这样的回答中我们还是没有得出任何结论。


不仅如此,McTaggart提供了一个更复杂的证明。【重点来了】


回到他刚才的论述,他认为事件M既有现在(present)的属性,又有过去(past)的属性。但是,一个事件只能有一个时间属性,要不是过去,要不是现在,要不是未来,不能同时拥有超过一个的时间属性。(这里是一阶时间(first-order time)。)

有人是这样解释的事件M这件事现在是现在,将会变成过去,(It is present and will be past.)。这也就是说,M在现在是现在,过去是未来。也就是说,M有在“现在”这个时间点(时间A)是现在(present-presentness)的属性和在未来这个时间点(时间B)是过去(future-pastness)的属性。它又同时拥有了两种属性。(这里是二阶时间(second-order time)。)

于是现在就不好解释了。确实在同一个时间A时,这件事拥有【在现在的时候是现在(present-presentness)】的属性,同时又拥有【在未来是过去(future-presentness)】的属性,所以我们现在又得出了三阶时间(third-order time)的属性:在【现在的时候拥有在现在的时候是现在的属性】(present-present-presentness),以及,【在现在的时候拥有在未来是过去的属性(present-future-presentness)】。
于是我们可以继续得出【在未来(时间B)的时候拥有在过去(时间A)的时候拥有在未来是过去】(future-past-future-pastness)的属性之类的东西。(.....)


这么下去没完没了,McTaggart认为,这样我们永远是用新的时间来解释旧的时间,但是我们不能用时间来解释时间,就像我们不能用A系列证明时间,用时间证明A系列一样。我们始终会得出同一个事件拥有两个以上的时间属性的结论。A系列无法解释自身,因此是错误的。

当然呢,这一切在B系列的框架中很好解释,就是一个在前一个在后嘛,但是McTaggart认为B系列必须在A系列的基础上存在,然后A系列又无法解释自身。于是就陷入了A系列解释时间和B系列,B系列解释时间和A系列,时间解释A系列的无限循环。

所以说,时间其实是不存在的,事件可能是依照B系列的样子排序的,但是它并不是时间。

嘛就是这样。

最后这一大段理解起来会很困难,写的时候我都快精分了(本来只是无聊才想写个答案啊摔!)。大家好好加油理解。:)←(微笑脸)

多读读原文。


reference:
http://rintintin.colorado.edu/~vancecd/phil375/McTaggart.pdf

123456825 发表于 2020-12-25 22:31

贴个日文的解读,逻辑很清晰明了,
竟然更易懂

「時間は実在するか」(入不二基義 講談社現代新書 2002年)はイギリスの哲学者JMEマクタガートが一九〇八年に書いた論文「時間の非実在性」を解説している。

マクタガートは時間を理解するしかたにはA系列とB系列の二種類があるとする。

そして、時間を考えるうえで本質的なのはA系列の方であるとする。しかし、マクタガートによればA系列はある矛盾を含んでいるので実在してはいないとされる。このことから、マクタガートは「時間は実在しない」と考えた。また、その証明もできたものと考えた。

マクタガートの「証明」には発表当時からさまざまな批判や言及が加えられている(入不二自身もマクタガートの「証明」には批判をもっている)。しかし、マクタガートの説は時間論を考えるうえでは基礎的なものとなっている。

<マクタガートの時間論の大まかな流れ>

マクタガートの時間論の構成をステップ分けすると次のようになる。

ステップ1:時間のとらえ方にはA系列とB系列の二種類がある。

ステップ2:B系列だけでは時間をとらえるのに不十分である。

ステップ3:A系列だけが時間にとって本質的である。

ステップ4:しかしA系列は矛盾を抱えている。

ゴール:よって時間は実在しない。

<時間のA系列とB系列について>

A系列とは、現在を視点として過去未来を眺めるという視点である。この場合、「現在」はどこかの時点に固定された不動のものではない。

それに対してB系列は、時間的な前後関係や順序関係によって成立する系列である。通常「○○は××より前」「××は○○より後」という表現で表される。この関係は二つ以上の出来事や時点に関してでなければ成り立たない。

そして、マクタガートはB系列だけでは「時間」の核心をとらえることはできない、とする。その理由をマクタガートは、

①「変化」が「時間」にとって本質的なもの

であり、

②B系列だけでは「変化」を説明できない

からだとする。

①の、「変化が時間にとって本質的なものだ」というのは、ものごとの「変化」がなければ時間が経過しないからである。②の結論がでるのは、B系列はあたかも数直線上に数値が「○○は××より大きい」「××は○○より小さい」という順序関係で並んでいるかのように出来事、時点を時間の順序で整列させているからである。その序列関係の系列は、そのままであり続けるしかないのであって、そこに「変化」が入り込む余地はない。

B系列はこのように固定的永続的なものであり、「変化」を説明することはできない。

<A系列の優位性>

マクタガートは「変化」を説明できるのはA系列だけであるとする。A系列についてマクタガートは次のように説明する。

ある出来事aは、いつまでも現在であり続けることは不可能である。出来事aは、いずれ過去になる。いいかえれば、aという出来事がまさに現在起こっているという特徴付けは、ある時に「真」であっても、いずれその後「偽」に変わってしまう。このような「過去ー現在ー未来」という特性によって出来事や時点をとらえるとき、その系列はA系列を形成する。たとえば「源義経の死」という歴史的な出来事も、これからおとずれる未来である状態から、まさに今生じている現在であるという状態を経て、もうすでに終わった過去であるという状態へと「変化」する。同一の出来事もB系列として眺めると不変であるのに対して、A系列としてみると「変化」するのがわかる。このようにA系列は時間の本質である「変化」をとらえることができる。マクタガート本人はこのことを「ものごとは時間の中にある限りA系列の中にある」と述べている。

<A系列の矛盾>

さらにマクタガートはB系列はA系列に対してより根本的な時間把握であり、B系列はA系列に対して依存して初めて成り立つと考えている。

マクタガートは、B系列は「順序+時間」という仕方で構成されていると考える。この「時間」の部分がA系列である。マクタガートは「順序」の部分には「C系列」という呼称をつけた。つまりB系列=C系列+A系列というわけである。

マクタガートは方向性を持たない順序であるC系列こそが実在の姿であり、あとからそこに方向性を持った時間的な変化であるA系列が付け加えられることによって、ようやくふつうの意味での順序のB系列が成立するのだと考えた。

その上でマクタガートはA系列の矛盾を以下のように証明する。

1、出来事は、「過去である」「現在である」「未来である」という三つのA特性をすべて持たなくてはならない。

2、「過去である」「現在である」「未来である」という三つのA特性は「変化」を表すためには互いに排他的でなければならない。

3、A特性が出来事に適用されるならば、その出来事は互いに排他的な三つの特性をすべて持たなければならない。これは矛盾である。

「出来事は両立不可能な三つのA特性をすべて持っていなければならない」という点にマクタガートは矛盾をみる。これは、あるものが「赤色である」「青色である」「黄色である」という三つの特徴をすべて持っていなければならない事態に似ている。この三つの特徴は、A特性と同じように、互いに排他的である。両立不可能な三つの特徴をすべて持っていなければならないとしたら、それは矛盾した事態である。

マクタガートは自論に対して次のような反論を予想する。

両立不可能な特徴であっても「同時に」ではなく「契機的に」別々の「時」に帰属させられるのであれば、矛盾にはならないのではないか?

これに対してマクタガートは次のように再反論する。継起的に、ということには、B系列的な時間の観念(時間的順序関係)が入り込んでしまっている。しかし、B系列はA系列+C系列でできている。反論者はA系列を矛盾のないものとして証明するために、当のA系列を使ってしまっている。これは、悪循環になるので、間違いである。

よって、A系列は矛盾を含む。矛盾するものは存在し得ないので、A系列は存在し得ない。A系列は時間にとって本質的なものであった。したがって時間は存在し得ない。よって時間は非実在的なものであることが証明された。
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